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先日、アフロを9日間被って生活をしてみました。
 

何故ゆえに?

 

アフロヘアに憧れ続けて23年。

 

18歳の時。たまたま見かけた黒人少女の服装とヘアスタイルをみて、黒人少女のようになりたい!!がきっかけ。

 

女子校だったこともあり、みんなは美白で大忙し。私その中で、黒人になりたいの!って言って絶賛日焼け。

 

18歳にもなって、日焼けで完全に黒くできるわけではにことに気づけなかった私は本当にバカだとおもいますが(笑)

 

黒人少女のようになりたいから始まった私の黒人化は思いついた時にはすでに遅し。。。

 

その当時、久保田利伸さんと髪型被っていて。↓こんな感じです。

 

 

私さらにここから、上の残った髪の毛を緑と青のシマシマにしていました。

 

行きつけの美容師さんに相談したら、アフロにするには髪の毛が均等に長くないといけない。ということと、髪の毛がすでに染めすぎて、アフロに耐えれる状況ではないと指摘されたのです。

 

高校が衛生看護科の学校で、病院実習がある。ナースキャップ被れるの?という違う心配もあったぐらい髪の毛が短かった。すでに高校3年生。卒業したら、進路は准看護士として働きながら、正看護師を獲ると決めていた。

 

アフロにはできない。ということ。

 

看護師は見た目の清潔さも必要なんです。

 

アフロこそできなかったものの、その当時流行ったツイストパーマやスパイラスパーマにはナースキャップが被れる程度にはやっていました。

 

そして、月日が経ち、27歳でベリーダンスに出会い、長髪に憧れて、伸ばし続けていたあの頃。アフロの存在なんて、すっかり忘れていた。なんなら、アフロは人がやったら素敵だけど、私はできない。なんて思っていた。

 

なんか、女子になってしまっていました。

 

32歳大学生になるという決意をし、台湾へ。このアフロチャンスをまたもや逃す私。

 

だって、彼氏欲しかたんだもん。やっぱり女子という私が邪魔をする。

 

そこから、はや9年。出産を機にいろんな勢い無くしてました。母だからこうでないと。とか。おばさん目立つの嫌だな。とか。

服装も髪型も全て保守的になっていたような気がします。(でも、周りの人は派手好きという認識。)周りとはズレが生じていますが。

 

出産後、またベリーダンスを再開した時。

 

 

やばい。

 

出会ってしまった。

 

私の理想に。


アフロでも、ベリーダンスがこんなにマッチングするとか!するとか!(2回いう。)

 

 

私のアフロに対する熱がふつふつとまた湧いてきたのです。

 

 

誰が読むか知らない、次に続きます。
 

 

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